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与論島クオリア
  最終更新日 2017-5-29 4:56:55
要旨 喜山荘一 《与論だけの“あの感じ”を言葉にする》《与論・奄美・沖縄(琉球弧)の“同じ”を発見する》
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言語 ja-JP
「沖縄の山の神について」(上原孝三) 3
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要旨:  ぼくたちは、ウンジャミとシヌグについて、女性が男性性の強い神をいただき、男性が...

 ぼくたちは、ウンジャミとシヌグについて、女性が男性性の強い神をいただき、男性が女性性の強い神をただくのは、一種の異性装だったのではないかと考えた。

 キラハニ  女性性(太陽)
 スク    女性性(干瀬の子)
 ウンジャミ 男性性(蛇)

 ここで、もうひとつ視点を加えると、シヌグでは「キラハニ」が、祭儀の対象から除外されている。キラハニは、貝精霊だから、そう考えると、これだけ大きな存在が除外されているのが不思議に思える。また、肝心のスクは、主となる動物が不明のままだ。

 そこで、キラハニが除外されているのは、この祭儀が「貝」以前に遡る古さを持っているからだと仮定してみる。だとしたら、貝以前のトーテムとしてのジュゴンが浮かび上がってくる。スクの背後に控えている主なる動物は、ジュゴンなのではないだろうか。

 浜比嘉島の平島では、浜下りのときにこう歌われる。

 ザンの魚も、スクの魚も
 引き寄せて、抱き寄せて、
 オナリ・エケリが肝誇り、胸誇りみそれ
 (平島での神歌(ウムイ))

 これは、ザンもスクも重要な「魚」だと考えられたことが示唆されていると捉えてきた。しかし実は、ザンの精霊の化身態がスクであることを示唆したものなのではないだろうか。

 ここで、「オナリ・エケリ」が出てくるのも気になるところだ。ザンがトーテムであった段階は、兄弟姉妹婚、つまり、オナリとエケリの交わりが集団の核になっていたからだ。

 スクはジュゴンの精霊、ウンジャミは蛇の精霊の化身態。そう仮説してみよう。

兄妹始祖神話の位相
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要旨:  兄妹始祖神話は、兄妹の性交による世の始まりを伝えたものだとよく言われる。しかし...

 兄妹始祖神話は、兄妹の性交による世の始まりを伝えたものだとよく言われる。しかし、それは間接的なものだというように、ぼくたちは考えてきた。(参照:「琉球弧の兄妹始祖神話(民話)」

 たとえば、よくしられているものに古宇利島の始祖神話がある。

 むかしむかし古宇利(フイ)島(運天港の入口にある小さい島)に男の子と女の子が現われた。二人は裸体でいたが、まだこれを愧ずるという気は起らなかった。そして毎日が天から落ちてくる餅を食って無邪気に暮していたが、餅の食い残しを貯えるという分別が出るや否や、餅の供給が止まったのである。そこで二人の驚きは一通りではなく、天を仰いで、
 たうたうまへされ、たうまうまへ(お月様、もしお月様)
 大餅ちやと餅お賜べめしよれ(大きい餅を、太い餅を下さいまし)
 うまぐる拾うて、おしやげやべら(赤螺を拾うて上げましょう)
と歌ったが、その甲斐も無かった。彼等はこれから労働の苦を嘗めなければならなかった。そして朝な夕な磯打際でウマグルなどをあさって、玉の緒を繋いでいたが、或時海馬の交尾するのを見て、男女交媾の道を知った。二人は漸く裸体の愧ずべきを悟り、クバの葉で陰部を隠すようになった。今日の沖縄三十六島の住民はこの二人の子孫であるとのことだ。(伊波普猷「お隣りのお婆さんから聞いた話」)

 「海馬の交尾するのを見て、男女交媾の道を知った」というくだりは、そのまま受け取るのではなく、性交と妊娠の因果関係を知ったことを言おうとしている。それを媒介を経た性交という言い方で表現したのだ。

 ただ、ここで「海馬」ことジュゴンが出てくるのには、古い歴史が隠されている。この神話を古形にさかのぼれば、たぶんジュゴンが登場することに行き着くのではないだろうか。ジュゴン・トーテムの段階である。そこでは兄妹婚姻が行われていた。ただし、注意しなければいけないのは、ジュゴンはそこで交尾する役で出てくるのではない。人間に先立つものとして現れるだけだ。性交が神話に出るのは、妊娠と出産の因果関係を知ったのは、ぼくたちが読んでいるこの神話の段階でのことだ。

 

蝶形骨器の時代 2
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要旨:  ここで確かめたいのは、蝶形骨器の形態とそのおおよその時代だ。 (「沖縄縄文時代...

 ここで確かめたいのは、蝶形骨器の形態とそのおおよその時代だ。

2
(「沖縄縄文時代の蝶形骨製品」(金子浩昌))

 ここで吹出原遺跡の蝶形骨器が、貝塚時代第?期に相当されている。つまり、約3000年前だから、ぼくの考えでは「貝」時代に入っている。それまでは、「ザン-蝶」の時代と見なせる。

 興味深いことは、蝶形骨器製作の初期から一枚組のものだけではなく、二枚組のものも作られている。そして、第?には一枚組は作られていない。

 ぼくの考えでは、これは霊魂思考の進展を示すものだ。つまり、「蝶」を「ジュゴン」の変形と見なす思考は、第?期までで、それ以降は、「蝶」を「ジュゴン」の分解再構成とみなす考えが優勢になったということだ。

 二枚組のものは多くが「蝶」の翅が大きく広げられ、いまにも飛び立ちそうに見える。実際、これらの形態は「蝶」が、「ジュゴン」の元を離れたがっているようにも見える。(参照:「蝶形骨器の時代」