第四回

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第3回でお話をうかがった阿部さんのお隣で理髪店を営む、本畑さんご夫妻に登場頂きました。
神戸出身の奥さんと向うで知り合われ、30年余り前に旦那さんの故郷与論へ、神戸生まれの娘さんを伴って家族でUターンされました。奥さんは数多い島外出身のお嫁さんの先駆けです。娘さんが島を巣立ったのと入れ替わるようにして、20年振りに子宝に恵まれ、その息子さんも既に島を離れました。


本畑さんご夫妻

- ご主人は何年前に神戸へ行かれたのですか?

Mr.本畑:昭和28年に神戸の理髪店に住み込みで働き始めました。ですからもうこの仕事を半世紀続けていることになります。
当時与論島はまだアメリカの占領下にあり、内地へ行くにはパスポートが必要でした。我々の世代の人達はそうして本土へ渡り就職したのです。
神戸の港へ夜着いた時、沢山の光がチカチカしていて大変興奮したのを覚えています。当時の与論は夜ともなれば月夜以外は暗闇の世界でしたので。
それから神戸の阪神電車に、地下の駅から乗るのには驚きました。なにしろ電車そのものが珍しいのに地下に駅があるとは思いもよりませんでした。

- 奥さんと知り合われたのは・・?

Mrs.本畑:散髪屋の隣の商店で私が働いていたのが知り合うきっかけです。
結婚したとき19歳でしたが当時としては早すぎるということはありませんでした。3年目に長女が生まれ10歳になった時、私が体調を崩し夫の故郷である与論へ行くことにしました。体のためには自然環境に恵まれた南の島がいいとは思いましたが、本当を言えばこちらへ来るまで与論のことはなにも知りませんでした。

- 島での新たな生活についてお聞かせ下さい。

Mr.本畑:島へ戻って暫くの間、実家に身を寄せながら出店の為の準備にかかりました。
運好く銀座通りに土地を借りることが出来ましたので、住居兼用の店舗を新築して移りました。ちょうど島は観光ブームに火が付いた頃で、人口も増え続けていましたのでお客さんも付いて店は順調でした。

Mrs.本畑:最初娘を主人の実家の近くの与論小学校へ入れました。程なく街へ移ったので茶花小へ転校させようとしたら、与小の先生から生徒数が減るのでこのまま在校するよう頼まれ、しかたなくバイクに乗せて毎日送りました。たぶん娘が抜けるとクラス数を減らさなければならなかったのだと思います。
現在は少子化が進み、島内に三つの小学校を存続させる為、行政も町営住宅をうまく配置するなどして色々と工夫されているように聞いております。

- 娘さんは与論にすぐ馴染まれましたか?

Mrs.本畑:物の豊富な都会からやって来たので、最初はよく不満を口にしました。
それと与論は日常の話し言葉が全く違うので、友達同士で話すとき関西弁が抜けなくて苦労したようです。今ならテレビで吉本の芸人さんが大勢活躍しているので、逆に人気者になれたかもしれませんが。まあそれでも大人より子供のほうが順応は早かったように思います。
現在は結婚して関西で暮らしています。夏休みになると12歳になる孫をこちらへ寄越します。今では与論が故郷になりました。ずっと神戸で暮らしていれば、田舎がなくて少し寂しい思いをしていたのではないでしょか。

- 20年振りに子宝に恵まれたお話を?

Mr.本畑:女房は高齢出産でしたので大変でした。臨月になってからは沖縄の病院に入院して、命がけだったと言えます。ですから無事男の子が生まれたときは、やはり嬉しかったですね。
店のお客さんからの薦めもあり、観光ホテルでお祝いをしました。
息子からはエネルギーをもらったように思います。子供が学齢期になると親同士の付き合いが始まりましたが、ほとんど年下の人達なので我々も若返りました。
Mrs.本畑:娘の時と違い、年長だったので学校の役員なども引き受けました。
それと時代が変わり与論もずいぶん便利になり、物も豊富になりましたので息子の方が贅沢に育っています。親の方が多少甘くなった面もありますが。

- 与論の風習の移り変わりについて何かありましたらお願いします。

Mr.本畑:与論には「浜下り」といって新生児を旧暦の3月3日に海に浸けて健康を祈願する風習があります。この日は学校も半ドン、郵便局と銀行以外のお店はお休み、島民の殆どが海に出て漁りをして獲物を採り、それを浜で調理し祝杯を挙げます。実際は新生児のお祝いというより、全島民が海へ繰り出す一大リクリエーションデーでした。
Mrs.本畑:大潮の日なので、子供からお年寄りまで漁りを楽しめます。漁師の人達が舟を出してくれて、リーフの近くまで乗せて行ってくれ、潮が満ちて来たら浜まで送ってくれるのです。
この風習は今ももちろん続いていますが、浜へ出る人の数は大分少なくなりました。 生活が慌しくなって、仕事も全てお休みという訳にはいきません。娯楽の少なかった昔とは違いますし。

- 最近火葬場が出来たそうですが。

Mrs.本畑:もう20年も前から候補地が上がっては立ち消えになり、長年の課題でしたが昨年ようやく完成しました。
これまで火葬するにはお隣の沖永良部島までいかねばならなくて、大変でした。敷地に十分な余裕があるので、将来は斎場も併設できるようです。
Mr.本畑:もともと日本はどこも土葬だったようですが、与論では「骨洗い」といって4年から7年経つと、改葬する風習がありました。夜明けに墓から骨を掘り出し、浜辺に持って行き海水で洗い清めた後、再び骨壺に納めて墓地に返す風習です。
仮に肉親が急死したような場合、火葬だと余りにも死者とのお別れが性急過ぎて、なかなか現実を受け入れ難いと思いませんか?別に急死したような場合でなくてもお別れは辛いものですが、肉体が土へ帰る時間の余裕がこの世とあの世をうまく繋いでくれるように思います。
そして肉親の手によって洗い清めることで死者は新しく甦る、生まれ代わると言う先祖伝来の教えです。
私は美しい風習だと思っています。時代の流れと共になくなってしまうのは残念ですが、しかたないことですね。
火葬になったからと言って死者を手厚く葬り、先祖にたいする敬いの心が変わるわけではありません。

つづく